本編 幕の一 | 読者参加型ブログ 傾奇者

本編 幕の一

昨日の夜半から降り続いてる雨は昼を過ぎた今も
地面に冷たく降り注いでいる。

普段ならこの頃合から支度に勤しむ女郎の姿や化粧師、反物屋の姿。
稽古場に向かう芸妓衆がいそいそと小股をちらつかせながら
通りを往来しているこの辺りのせっかくの光景も
この雨のせいで向かいの飯屋に残飯を恵んでもらうために
うろうろしているのら犬の姿しか見えない。

いつもこの時間は居座りの二階窓から下の通りを
往来する女の小走りを肴に物見酒を決め込んでるのが
おいらの愛する一興だ。

まだ白化粧もまとわぬ生身の娘衆の浮かれ気味な会話が
今日は寂しく響く雨粒の音に変わっている。

それもまた風情と言えば聞こえもいい。

下階からけたたましく上がってくる足音が邪魔に入る。

「京の字。開けるよ。」

足音の主はおいらのマブってわけじゃない。

昔はこの花街きっての花魁として名を馳せた女は
今じゃおいらの居座る無界屋の女主人だ。
江戸の粋を全身に纏っている様子は今でも変わらない。
目鼻立ちも良く、乱れ髪には何とも言えぬ色気も感じる。
今でも座敷で充分通用する有様だ。
そんな女主人との縁で二階の奥部屋を住処にしている。
飯泥棒、酒泥棒と悪態をつく日もあるが、追い出し喰らう
ことは未だ一度もありゃしない。

こっちの返事を聞きもせず襖を開けて入ってくる。

「京の字。ちょいと使い頼んでもいいかい。」

「なんだよ。ぶっきらぼうに。」

「この雨であたしゃ外に出たくないんだよ。」

そう言いながら。皿のするめに手をつけ紅で光った口に咥えた。

「おいおい。この冷たい雨に身を打たれて来いっていうのかい。」

何ともこいつの勝手な言い分にも腹が立ったが
なかなかどうしてこっちの性分を判りきってる女だけに
断る術を知らないのも情けない話だ。
暫くだんまりを決め込んで向居の旦那がのらに餌をやるのを
ちびちびやりながら眺めていると、肩にちょんと頭を乗せて同じ
光景を眺めながらも意識はこっちに寄せながら、

「頼むよ。京の字。」

そう言いながら口のするめをぷらぷらさせて
上目遣いな視線をおいらに向けてくる。

「どこ行きゃいいんだい。」

酒を啜りながら尋ねるとくすっと笑みを溢し

「そう言ってくれると思ったよ。この沙耶さんの頼み、
 無碍にする甲斐性なしじゃないもんね。」

と、小娘のような表情をする。

「お堀端の光陵先生に頼んである三味線を取ってきておくんなまし。」

「、、、、面倒。」

「そんなこと言わないでさぁ。」

甘え上手も世渡り上手、酸いも甘いも知った仲。
重い腰を持ち上げて、笑顔の沙耶に手を引かれ下階の玄関まで
連れて行かれる。大して酔いも残らぬまま
がらっと戸を開け表に出ると、意外に寒さは感じなく
妙に生温いとも思える風が顔を撫でる。

軒先の傘を広げしとしとと降る雨の中足早にお堀端へ向かった。