本編 幕の四 | 読者参加型ブログ 傾奇者

本編 幕の四

「本当にお前さんだと思ったんだよ。背格好は似てるし、
 一瞬気が逝ってしまいそうになって大変だったのさ。
 しかし、可愛そうな仏さんだよねぇ。あんな死に様じゃ
 死んでも死に切れないってもんだよ。」

火鉢を鉄箸でかき回しながら煙管を一服つけて沙耶は言った。

「でもよかったじゃない。京さんはこうしてあちきらの前に
 いつもと変わらない京さんでいるんだし。」

無界屋でも取り分け人気の結枝は沙耶の向かいに座って
餅を口にしながら沙耶と会話を交わしている。

結枝は看板娘ながらその事を鼻にもせず、誰隔てなく
明るくもてなすこの辺の売れっ子にしては気立てのいい娘だ。
詳しい素性は定かじゃないが腹違いの妹と二人で暮らしている。
世知辛い世の中二人の娘で生活するにゃ苦労も絶えまい。
そんな結枝だから尚更のこと人情に溢れた人柄に育ったのかも。

二人の会話を耳に横になりながら思案していた。

俺がさっき見たのは何だったのか。
確かに酔いも加わって変なもの見ちまったのかもしれねぇ。
しかし、それだけで納得いくような代物じゃなかった。

真っ赤な河

小柄な男

鈴の音

死体



世迷言にも程がある。

その幻の中で男ははっきりこちらに話しかけてきた。

あの男の持つ二つの鈴がちりんちりんとぶつかり合って
音を響かせていた。雨のあと。靄もかかるが
何となく外気は生暖かい。季節は冬も近づいてるってのに。

「聞いてんの?ちょいと。京の字。」

相槌も打たず思案していたおいらに沙耶も業を煮やしたらしい。

「うるせぇやい。ちと考え事してんだ。」

煙管の吸殻を落とす音で沙耶の機嫌も伺える。
めっぽう勝手に話する性分の女はこういうときほど
口うるさい。こちとら何も返しちゃいねぇってのに話を進めやがる。

「そんなの後におしよ。
 何だか物騒な夜だから結枝を送ってっておくれよ。」

結枝も背中向けたおいらの顔を覗き込んで
拾われてきた子犬のような目で合図する。

「結枝。今夜は馴染みも顔出さねぇのか。」

むくれたのか餅を頬張ってるのかわからん表情で。

「旦那も最近の鬼騒ぎで会いに来てくれないのさ。」

結枝の馴染みはなかなか体格も良く腕も断つ侍らしい。

「へぇ。そいつは見掛け倒しだな。」

少しばかりからかい気味にそういうと。

「京さん。ちょいと勘違いも甚だしいよ。
 旦那はそんなへっぴり腰なんかじゃないさ。
 お勤めだよ。お勤め。」

確かに身なりはきっちりとした侍だった。

「なんだよ。鬼の尻追っかけてるのか。」

「うん。そうらしい。あんまりお勤めの話はしないんだけど。」

重い腰を上げて早々に結枝を長屋まで送ることにした。

「結枝。途中の菓子屋でおはっちゃんに土産買ってってやりな。
 京の字にねだればいいや。」

そういいながらこちらの懐に財布を入れてくる。
江戸の気風のいい女は口は悪いが男を立てる。
いつもながら惚れ惚れするし、ありがてぇ。

「京さん。いいの?」

毎度のことだが結枝も必ずこう言ってくる。

「いいってことよ。結枝の妹はおいらの妹みてぇなもんだ。」

そういうと結枝は沙耶に三つ指でおいとまの挨拶をした。

まだこの界隈は賑わっていて太鼓持ちや顔見世にへばりついた
助平もたくさんいる。

さすがに化粧を落とした結枝だが、そこは無界屋の看板娘。
それでも声を掛けるやつらが大勢いる。

結枝もつんと澄ましていられるたまじゃねぇから
あれよこれよと挨拶がわりに一声掛ける。

結枝を送るのもいいが、御付の小姓みてぇに見られるのはちと癪に触る。
そんなおいらにも気遣って決まって顔見知りや客に一声かけながらも
細い腕をおいらに絡ませて歩く。じつに気持ちのいい女だ。

「ごめんね。京さん。」

結枝からは毎日一度は聞かされる台詞。

「気にすることはねぇや。お前の人気は百も承知。こうしていっしょに
 界隈を歩くおいらも悪い気はしねぇ。」

そういういつもの会話をして色街を抜けていった。

橋のたもとに。

男は今でも立っているような気がしたが鈴の寝も赤い河もない。

色街を抜けるとさすがに人影も疎ら。
飲み屋の提灯と屋台の灯りだけ点々と見える。

お堀端のせせらぎが風情を感じさせて
隣には愛しい眼の娘が小走りについてくる。

光陵先生の家を過ぎてすぐの曲がり角

色街帰りのお客相手に遅くまで営んでるめずらしいがこの辺りじゃ
有名な鶴亀屋の灯りが見えてきた。

結枝に財布を渡すとにこりと微笑んでおはつの飴細工を買いに走った。

微笑ましい光景だ。

妹想いの姉さんはおはつの喜ぶ顔を思い浮かべながら
小銭を店主に渡している。

背中越しにどんと重い感触が通り抜けていく。

違和感を覚え振り返るとそこには何もなく、
見慣れた光景に変わりもなかった。

「京さん。はい。いつもありがとう。」

そういって紙袋を手にした結枝は財布を返してきた。

何となく不安を覚えつつ歩き始める。

そこいらの家の中からは家族の笑い声や会話が聞こえてくる。
そんなときは結枝の顔が少し寂しそうにも見える。

「おはつといっしょに無界屋にせわになればいいじゃねぇか。」

事も無げに結枝に言うと

「京さんは何でもお見通しだね。でも、色街に置いとくわけには
 いかないよ。まだ歳もいかない子供だし。姐さんにも言われる。
 すごいうれしいけどまだおはつには早いって言うか。」

結枝の言葉に間違いはない。
沙耶もそれを承知の上だろうし、結枝もこっちの気持ちを充分
わかっているのだろう。

「そうだな。おはつにはまだはえぇや。もう少し辛抱しろよ。結枝。」

「うん。」

こいつは本当にいろんな苦労をしてきてるんだろう。
芯の強い娘だが、娘は娘。放っておけない妹みたいなものだ。

「まぁ。居候が言う台詞じゃねぇな。」

結枝はそれを聞いて吹き出した。

「そうだよ。京さん。京さんの言う台詞じゃないよ。」

話して歩けば道も遠く感じない。

あと二本程十字路を越えると長屋の灯りが見えてくる。

長屋の一つ手前の道を通り抜けようとしたそのとき
どすんと大きな音を立てて目の前に丸太のような物が飛んで落ちてきた。

二人して驚いて声が出る。

お互い無事を確認するように見合って
一呼吸置いて目の前の丸太を良く見てみると。

結枝は声も出さずに卒倒した。

倒れこみそうな結枝の方を抱き上げ
まじまじとそれをみると

蠢く長い爪の指先

丸太のように見える青白い腕

地面に落ちてももがくように土を削っていく。

「鬼の。。。。。腕。。。。。」