本編 幕の六 | 読者参加型ブログ 傾奇者

本編 幕の六

「まさか、京さんと結枝とはねぇ。」

こちらも先程の騒動の幕を下ろしたのが、
このさながらあめんぼのような脆弱な体つきの男とは
到底考えも及ばなかった。こいつの名前は六。
馴染みの店でよく酒を交わす飲み仲間だ。

貧相な身体だがいっぱしの役人で
結枝のいい人とも仕事柄繋がりがあるらしい。

やたらでかく見える羽織には丸に十字の家紋が入っている。

身なりはきちっとした奴だし
役人なんだが身分の隔てなく町の連中と仲のいい
ある意味型破りな男だ。

「しかし、結枝の奴。何もなかったように呆けてやがったが、
 大丈夫なのか。気が逝っちまったのかな。」

やたら愛想のいい役人は目の前の肴をちょいちょいつまんでは
ちびりちびりやってこちらの話に相槌をうつ。

「何。突然の雨で見たことある背中が女を抱き抱えてるのが
 目に入ったもんだから。野暮は承知と思いつつ雨粒を遮ったって寸法だ。
 よく見りゃ京さんの胸に埋もれてるのは結枝だったんで、
 ちと見ぬふりしようとしたが、時既に遅しってとこで。」

少し赤ら顔の役人はにやけてそういいやがった。

「おいおい。旦那のいる女摘むほど困っちゃいねぇよ。」

それを聞くとくすくす笑いながら、

「それもそうだね。あの仏頂面の女に手ぇ出したら大変だ。」

「しかしよぉ。六さん。何で結枝は何も覚えてねぇんだ?
 あんたの顔見ても、しばらく誰だかわからねえ様子だったし
 それに長屋に着いたらけろっとした顔で妹にただいまだってよ。」

「まぁ。ちょいと雨に濡れただけのことじゃないか。
 京さん。これといって不思議な話でもないだろうよ。」

一瞬、耳を疑った。
こいつには「あれ」が見えてなかったのか?

気が触れたかと思われても仕方ないとばかりに

「あんな化け物、俺は今まで見たことねぇよ。」

と、言ったところで六の箸が止まった。
さっきまでのにやけ面が嘘のようにじっとこちらを見据える。

「京さん。あんた、、、、見ちまったのか。」

見ちまった?おかしな話をする奴だと思った。

「何言ってるんだ。突然、斬られた腕がすっ飛んできたんだ。
 それを見て結枝は落ちちまった。」

ついには酒を運ぶ手も止まった。

「京さん。そのことは結枝にも誰にも言っちゃいけねぇ。」

「なんでだよ。俺の気が触れたとでも思ってるのか?
 そりゃ、最初は自分を疑ったさ。でもな。あんな目の前で幻が
 突然見えてくるほど飲んでもいねぇし。」

「そうか。あんた、前から何かあるって気にはなってたがそういうことか。」

まじまじとこちらを見つめ、六は一人納得した様子だった。

「そういうことってどういうことだよ。」

こういうときほどじれってぇと思っちゃいけねぇが
性分だからしょうがない。

「京さん。見慣れねぇ爺さんと会ったね。」

「あぁ。それも変な話だったんだが。」

「あまり落ち着いてもいられないようだ。京さん。あんたに折り入って話がある。」

あからさまにこう言い放ったら

「おやじ。勘定。」

と、さっさと店を出払った。

「おい。六さん。どういうことだよ。」

「いいから。とにかくその爺さんを見た場所まで案内してくんな。」

足早に前を行く六の歩き方に驚いた。
こいつの印象ときたらふらりふらりとよた歩きする奴だったのに
目の前を闊歩するでかい袴は威風堂々とした趣だ。

「門の手前。橋のたもとだよ。六さん。一体どうしたっていうんだい。」

六の脚がふと止まった。
そして、振り向きもせず淡々と

「京さん。あんたの力借りて、やりてぇことがある。」

そういってまた足早に歩き始めた。

道端の堀のせせらぎが先程の雨のせいで勢いづいて聞こえる。

橋のたもとにくると
向こう岸の爺さんが見えた場所を指差して振り向いた。

「あそこかい?」

六もそれを見たかのようにしっかりと指はその場所を指していた。

圧倒的な六の勢いに少し面食らっていたが大きく頷いてみると。

腰の帯刀をすっと構えた。

鍔の部分に鈍い金属音がすると
六の大きめな羽織がふわっと浮いたようにみえた。

丸に十字の家紋の四方には見慣れない印が青白く浮かび上がる。

一瞬六の身体の前方から勢いある風が通り抜けた。

六は口元で何かのまじないを詠唱している。

その口が止まりかっと目を見開いて帯刀を上段から一気に
振り下ろすと、一瞬六の太刀から何かが放たれたように見えた。

前方には向こう岸。

爺さんの見えた辺りに渦が巻く。

「つむじ、、、、、。」

思わず口に出た。

子供の丈くらいのつむじは
どんどん大人の丈ほどに伸びて周りの草花が激しく揺れる。

やがてそのつむじは青白く光り、
あの青い炎を纏って空高く一直線に飛んでいった。

刀を鞘に納め、大きく息をして、こちらに振り返ると
いつもの飄々とした面に戻って。

「とりあえず跡は消えた。京さん。明日改めて会おう。」

そういって俺の肩を叩き帰っていった。

何が起きたかわからねぇが、あそこには確かにあの爺さんがいたようで
あの場所には何かが残っていたようだ。

今日一日の不可解な出来事たちは
完全に思考の範疇を超えているから
もう。何も考えるのはよそうと思った。

いつものふらりふらりとした歩き方を見ながら
ひとまず帰って飲みなおすかと思ってみた。