本編 幕の七 | 読者参加型ブログ 傾奇者

本編 幕の七

昨日は飲んでもやはりなかなか酔えず、
沙耶はこの始終を興味津々な眼で聞き続けたが
終いには話し途中で寝ちまった。

部屋に戻り俺も床に着いたがなかなか寝付けねぇ。
うつらうつらとしていて結局は御天等さんと顔をあわせる始末。

裏庭で湯を浴びて、六さんの迎えを待った。

今日は朝から天気もいい。
昨日の雨か朝露か
きらきらして眩しい。

普段はあまり食べない朝飯をいただいて数刻後

六さんはいつもと変わらぬ様子で迎えに来た。

「さすがの京さんも昨日の一件で寝付けなかったかい。」

飄々と歩く六は周りの連中と
愛想良く挨拶を交わす。

「そりゃ、あんなことがあらぁな。」

門を抜け橋を渡ると河原の水面がきらきら眩しい。

「六さん。どこ行くんだい。」

通りすがりの飴やからべっこ飴を一つ買い
六は口に含みながら

「うん。番屋で大将が待ってるから。」

大将。結枝のだんなのことだ。
確か名前は遠山とか言った。

無骨な奴で今いち近寄りがたいやつだ。
がたいもいい、腕っ節の強そうなやつで
結枝の長い馴染みの旦那だってことぐらいで
店で袖触れ合う程度の縁でまともに話したことはない。

お互い顔見知りだか付き合いは浅い間柄だ。

「俺。あまり気がのらねえなぁ。」

「京さん。そういうなよ。ああ見えて話のわかる男だよ。」

酒も好きだが甘い物もよほど好きと見える。
六はさもうまそうに飴をたぐっている。

「大将。顔は朴念仁だけど気が合えば話しも弾むさ。」

「気が、合えば。な。」

橋を過ぎてしばらく行くと、元吉町の入り口に
番屋がある番屋の戸を開けると
朴念仁が座って待っていた。

「大将。連れてきたよ。」

六は誰にでも同じように話しかけるようだ。

「手間かけたな。六無斎。」

そういって書きかけの筆を置いた。

「京之介殿。いつも結枝が苦労かける。」

さすがにこう下出に出られると
構えていたこっちも調子が狂った。

身分も違えば立場も違う。
こっちは女郎屋の居候、相手は御武家で客人だ。

「いや。大したこともしちゃいねぇ。礼を言われる程でも。」

六が岡引の持ってきた茶を二人に勧める。

柱に背もたれて茶をすすりながら。

「何だかおかしな二人だねぇ。顔見知りだろ?」

何も躊躇せず俺たちにふっかける。

「まぁ。でも話したことはあまりねぇし。」

「そ、そうであったな。こちらは結枝から色々話を聞いてるので
 京之介殿のことはいくらか存じてるが。」

「そ、そうかい。あ。その京之介殿っての止めてくんねぇか。京の字でいいよ。」

「承知した。京の字殿。」

やはりあまり気のきかねぇ朴念仁だ。

「まぁいいや。で、旦那があっしに何のようだい。」

「時に昨晩。鬼に出くわしたと。」

「あぁ。鬼の腕が飛んできたと思ったら、その鬼は誰かに退治されやがった。」

「その一部始終を見られたのか?」

「その通りよ。こっちは訳もわからねぇ寸法だがあいにく
 性根が曲がってるせいか、正気を失わずにすんだようだ。」

「な、間違えねぇだろ?大将。」

六は口を挟むように遠山に告げた。

「六さん。間違いねぇってのはどういうことだい。」

六は遠山の旦那と目を合わせると

「実はな。俺たちゃあるお役目についてる。」

遠山の旦那もこちらをじっと見る。

「鬼。退治してるんだろ。」

二人はあっけにとられて

「京さん。なんで知ってるんだ?」

こちらがあっけに取られる。

「何でも糞もねぇよ。昨日爺さんのいたとこまで案内したろ。
 そこで六さんはなんだかまじないをしてそこの邪気を飛ばして帰った。
 しかも、旦那が鬼退治のお役目についてるのは結枝から聞いてるよ。」

取り越し苦労とばかり二人はこっちの話を聞いて
茶を口に含んだ。

「そうであったか。」

何か納得したかのように遠山は一呼吸置いた。

「京さん。あんた。いっしょに鬼退治しねぇか?」

六がすかさず言ってきた。

俺は口の中の茶を噴出しそうになった。

「ば、馬鹿いっちゃいけねぇ。なんでおいらが。」

「京之介殿。いや京の字殿。」

「あのなぁ旦那。その殿ってのが。」

「では京さん。あんたは鬼と縁があるようだ。
 どこでどう鬼に出会い、どう鬼が見えるようになったかは
 よくはわからない。」

それはわかるわけもないだろう。
後にも先にも俺は鬼なんかに出会ったことはなかった。

「京さん。あんた昨日の祓いの後にも鬼の記憶を持ってる。」

「ああ。それがどうか。」

六は腰に着けた太刀を前に差し出す。

「これは鬼斬の太刀。まぁえらい神様の御神力が宿った代物なんだが
 鬼を退治するにも鬼の思念を断ち切るこの刀を使うわけだ。」

「じゃぁ。昨日の鬼退治は六さんがやったのかい?」

「いや。おいらはあの辺の四方に向けて封じの結びを張ってた。」

「封じの結び。何だいそれは。」

「鬼の気配ってのは弱い人の心には毒なんだよ。
 その毒気に当たると鬼が鬼を呼んで普通は正気が失せちまう。
 そのために鬼を真ん中にして四方に鬼の気配を封じ込める結び。
 ようはまじないを仕掛けてたんだ。」

昨日の世迷言は結局まだ続いているらしい。
しかしながら合点のいく話しで素直に受け止められた。

「なるほど。じゃぁ誰が鬼を。」

「あぁ。鬼はいっしょにいたもう一人が仕留めた。」

六の話だと昨晩の鬼退治では六ともう一人の二人で鬼を追い詰め
あの場で退治したのだという。

もう一人の話はのちほどにして。

「しかし。京さんはその一部始終をしっかり見ている。
 鬼封じの中にいる人間には鬼は見えねぇはずなんだ。
 そのためのまじないだし。それに後にも爺さんのいた場所に案内してもらった。」

「あぁ。あの橋のたもとか。」

「うん。あそこでも俺は鬼の思念を断ち切るために鬼切りの結びをした。」

鬼切りの結び。

鬼の残した気配を断ち切り。周囲の災いを食い止めるまじないだそうだ。

「あれにはさ。鬼を見た人間の鬼の気配も断ち切る力があるんだが
 京さんはまったく効いてないらしい。いまでもしっかり覚えてるし。」

確かにしっかり覚えていた。

口を閉ざしていた遠山の旦那がつぶやいた。

「鬼切りの血」

六も頷く。

「何だい。その鬼切りの何とかってのは。」

「昔よりこの日の本には鬼を退治できる血筋がいくつかあったそうだ。
 その血を継いだものは鬼の気配を知り、鬼の念を断ち切る力を持っている。」

「京さん。あんたも鬼切りの血をひいてるようだ。」

鬼切りの血なんて言葉も初めて耳にした。

「時は流れて鬼の住む地も衰退した今の世には不要な力だったが、
 ここ何年かで鬼がこの江戸に現れるようになった。今現れる鬼ってのは
 よく聞く化け物の類とは訳が違うんだ。鬼ってのは人の心に元からある怨念
 みたいなもんが人並みの範疇を超えちまって人を鬼に変える。元は俺たちと
 同じ人間さ。昔からの化け物の鬼ってのは、えらい坊さんや術者の手で大昔に
 滅びてる。でも誰かが禁術でその鬼の心を目覚めさせて人々を鬼に変えてる
 らしい。それで幕府は鬼討伐の部隊を隠密で作った。」

「もっとも結枝にばれてりゃしょうがあるまい。」

遠山は咳き込んだ。

「まぁ。よほど信頼できる人にしか話してないだろうよ。」

しゃれで言ったが遠山には悪いことを言っちまったと思った。

「なぁ京さん。鬼切りの血ってのはもうさほど生き残ってないそうだ。
 縁あって俺もその一人。ここにいる大将もその一人だ。
 鬼退治。俺たちといっしょにやってくれねぇか。」

遠山もこちらを見つめ頷く。

「鬼退治か。」

俺は困惑した。
自分の身体に流れる血の意味も判らず。

「あぁ。俺たちは幕府膝元鬼討伐隊。閻魔だ。」